鍋島

日本磁器の最高峰とも呼ばれる鍋島は佐賀藩主の鍋島家が特別に作らせたもので、有田焼(伊万里)の大部分は商品として流通していたのに対し、鍋島焼はいっさいの売買が禁じられ、将軍家への献上品や他藩への贈答品を主目的とし、採算を度外視して焼かれていました。
鍋島の技術者には、有田の民窯から最高の技術を持つ者のみが集められました。技術が外に漏れないよう厳しく制限された管理のもと、鍋島特有の様式を作り上げるべく独自の工夫と高い技術が必要とされていました。
鍋島藩窯は、当初有田の岩谷川内(いわやごうち)にありましたが、1660年代頃に有田の南川原(なんがわら)へ移り、さらには1670年代頃に現在の伊万里 大川内(おおかわち)に移り、ここで藩窯としての体裁が確立したと言われています。